アスペの皆さん、こんにちは!
同じくアスペの、ごーじん(@smil3jane)です。
なんだか変なタイトルになってしまいましたが、ちょっと語らせてもらいます。
この記事は、我々アスペのメンタルを健康に保つことだけが目的です(と考えている時点で病んでいますけれど。涙)。
さて、突然ですが皆さんに朗報があります!
なんと、このまま時が進めば、我々アスペルガーにもチャンスが巡ってくるかもしれませんっ!
いやあ、待っていました。アスペの時代がやって来るのを、ずっと待っていました。──あ、この場合のアスペは、環境に恵まれなかったアスペです。お金のある環境のアスペは元々チャンスをものにしていますので。……え、私ですか?
車検も通せない貧乏人だよっ!(涙)。
……涙を拭いて、閑話休題。
で、なぜそのように感じるのか。
気になるでしょう?
ゆっくりと説明していきますので、先ずはコーヒーの用意をして下さいね。もちろん紅茶でもココアでも何でも良いですよ。炭酸飲料とかでも良いです(←いちいちうるさい?)。
アスペルガーにチャンス到来か?
さて、皆さん。
最近、国民全体のレベルが低くなってきていると感じませんか?……かなり漠然とした問いかけですが、「ああ!」と頷いている方も多くいると思います。これには色んな表現があるかと思います。が、なんと言うか……とにかくレベルが低くなったと思います。ん?……私は気付きました。
あれ、ワンチャンあんじゃね?
そうです、私は気付いてしまったのです!
いやいや、国民のレベルが低くなって、どうしてアスペにチャンスなの?──と、まあ、そういう話になると思うのですが、とにかく話を聞いてやって下さい。
さじ加減を知らない国民が増えた
皆さん「さじ加減」って言葉を知っていますよね?
料理をするとき以外にも耳にしたり口にしたりするこれ──何気に使っている言葉ではありますが、この「さじ加減」って、かなり重要なことだと思いませんか?……ま、アスペルガーの苦手なもののひとつですが(←おいおい)。
でね、最近、思うのです。
その「さじ加減」を知らない(上手くない)人が、増えたよなあって。
つまりね、善と悪、白と黒、YesとNo、そのようにしか区別ができない(というか許せない)ひとが増えたように感じるのですよ。それって白黒ハッキリしていないと迷ってしまうアスペルガーと同じです。
さり気なくアスペをdisるなよ。
……。
いや、ツッコミは後回しでお願いします。
何を話してたっけ?……あ、そうそう、今や国民は、白と黒しか認識できない病にかかってしまった、と(そんな話だっけ?)。
でも、社会に出て生きてゆくには、白でも黒でもない、グレーな部分をいかに見付けて、認めてやるかが重要でしょう? それは、……目をつぶる部分を考えるというか、時と場合を考えるというか、空気を読むというか……とにかく、世の中には、白でもなくて、黒でもないものって、たくさんあるじゃないですか。
私の大好きな、太宰治も言っています。「善でもない、悪でもない、どちらでもないものがあってもいいじゃないか」って。
そんなこと言ったかなあ?
言いましたよ!(たぶん)。
グレーで曖昧な部分を良しとしない風潮。……というより、善と悪をハッキリと区別しないといけない世の中……。
え、そんなの当たり前じゃん。
俺たちはルール守ってるし。
失敗した? そんなの自業自得じゃん。
酒なんて害があるだけじゃん。
はい出た、バカッターw
こっちが優先道路なんですけど!
そんなの常識だろう?
ルール違反者は許さない!
もう、離婚だ!
(ん、……なんか精神年齢低くね?)
国民は下らないことに怒っています。
そしてその怒りはネットなどによって拡散されます。次第に声は大きくなってゆく……。その第一声が誰によるものなのかは判らないのに、です。
まあ、多くの人が貧乏になって、心に余裕がない状態なのは認めます。
怒るということは自分に自信のない証拠です(無意識のうちに裕福でないことを恥じている?)。きっとイライラしている人も増えたのでしょう。しゃーない。
でも、そのことと「さじ加減」を知らない(忘れた)こととは、意味合いが違うと思います。
さじ加減を知らないとは、どういうことなのか
元々、日本人は原色というやつが苦手で、淡い色合いを好んでいました。食事も同じです。甘いとか辛いとかじゃなく、出汁とか旨味というものをいちばん大切にしてきました。日本人の得意技です。
その微妙であったり、悪く言えば、曖昧だったり……何にせよ大味ではなかったのです。「さじ加減」が絶妙だったのですよ。
そしてその「技」は、色々な場面で活かされています。
ところが、です。
今の世の中を見て下さい。
良く言えば、ルールを守ってはいるのですが、悪く言えば、融通がきかない、人の気持ちを考えない、そんな人に溢れていると思うのです。なんというか……思いやりが無いのです。
思いやりも日本の得意技だったはずなのに……。
もちろん、ルールを守ることは大切ですよ──いや、守らなくてはいけません。しかし、それは時と場合によってだと思いませんか? 周囲に迷惑をかけないことさえ約束できれば、少しくらいはルーズである方が精神に負担を与えませんし、時には必要な嘘だって存在します。いや、そもそも……悪いことをわざとするひとなんていないじゃないですか(一部の人を除く)。
でも、今は少しでもルールを守らないと、それは「悪」なのです。
グレーを知らないから、「黒」なのです。
いつからそうなったのか?
国民が自分の「さじ」を失ったのは、いつからでしょう?
「あれ、急激におかしくなってきたな……」と、私が最初に感じたのは、携帯電話が普及し始めた頃でした。
90年代の中頃〜終わり頃ですかね。
皆が、仕事ではなくプライベートで携帯電話を使い始めた頃です。プライベートで名刺交換が流行り始めた頃ですね。成人していないような若者が、仕事ごっこを始めた頃です。
私は先ず、若者を可哀想に思いました。
日本って人の成長が遅いじゃないですか。産まれた時から自分の部屋を与えられる国土の広い国の民と違って、日本では、かなり大きくなるまで「川の字」で寝たりします。そのため、考える時間も少ないし、隠し事もできないし、……つまり責任を持てない。なかなか自立できない。
でもね、可哀想なのはそこじゃないのですよ。
日本は「川の字文化」のため、自立は遅いのですが、親のやることをずっと見ていられる──という、良い点もあったのです。いちいち教えられなくても生活に必要なノウハウの全てを、何の苦労もなく手に入れられていたのです。
が、そこへ携帯電話様の御登場です。
個人プレーの始まり
携帯電話の登場はとてもインパクトがありました。
だって家の電話を使わなくても、好きな娘の電話に直接ダイヤルできるのです! 相手の親に取り次いでもらわなくて良いのですよ!(←そこかよ! つーかダイヤルなんてねえよっ!)。
いやあ、タイミングが悪かった……。
自立していない人々に、携帯電話は早かった。
未成年者や、自立できていない大人、多くの人が餌食になりました。
国民は、自分が偉い人になった、特別になった、既に自立している、と勘違いしてしまったのです。周囲の助言なんて無視です。だってもう自立していると思っているのだから……。
国民の「個人プレー(自分勝手)」が始まりました(涙)。
ルールに頼るしかない
昔はね、色んな個性が協力しあって「ひとつの塊」だったのです。だから得手不得手があっても、支え合うことができたのです。
しかし今は、あくまで「個人」を貫きます。集団になっても「個人+個人+個人+個人+個人」といった感じで、決して「ひとつの塊」にはなりません。
集団行動なんて出来ません。え、それって……、
アスペじゃん?
個人プレーという名の、自分勝手な人が増えてしまうと、これはもう、ルールを強化するしかありません!
だって「川の字」なのに、電話対応の仕方すら分からないのですよ。そりゃあもう、ルールをしっかり作って、その通りに行動するしかありません。え、それって……、
アスペじゃん?
アスペじゃん?
全国民がアスペルガー?
自立をしないままに「個人」となってしまった人々は皆、不安で仕様がないです。イライラしてしまいます。自分に自信がないからです。自分というものを持っていないからです。
そうすると自衛に走ります。
基本的に無関心
様々の事を臨機応変に対応できなくなった人々は、ルールを重んじます。が、実際には自身もルールを守ることができません。誰にも失敗はありますからね。
いや、そもそも日本には「思いやり」があったので、ルールを必要としていませんでした。だから未だ、しっかりとしたルール決めがなされていません。
それは恐怖です。ルールは曖昧だし、失敗したら叩かれてしまう。どうしよう。どうしよう。……そうだ!(ピコーン♪)。
the・無関心。
これですよ、これ。
自衛のため、基本的に自分以外の事に興味を持たなくなります。だって下手に首を突っ込んで失敗してしまったら大変な事になってしまいますからね。責任なんて大嫌い。ようし、白か黒かハッキリさせて、判ってから行動しようっと♪──って、なりますよ。……え、それって、
アスペじゃん!
だからアスペをdisるなよ。
失われた「さじ加減」
さて、ルールを重んじるようになった結果、「さじ加減」という技を失いつつある日本国民……。ここまできたら、ルール以外に頼れるものはありません。むしろ「さじ加減」での行動の方が「自分勝手」と評されてしまいます。
十人十色。
たった四文字で答えは出ているのですけれどねえ……(涙)。
個性は「普通からはみ出した部分」な訳ですし、それを悪と考え、ルールの範囲内でしか行動できないのは、ちょっと問題があると思いませんか?
10人で10種類の考えがあるから良いものができるのですよ。10人で1種類の考えしか出せずに、それの上下でしか判断できないのでは悲しくなってしまいますよね。
たしかにね、レシピ通りなら誰にでも同じ味を再現することができますよ。でもそれって本当に良いことなのですか? 私はおっさんだからレシピ通りだと味が濃すぎますよ!(←そこじゃないだろ!)。
ちなみに嫁ちゃんには、味を見て判断するように伝えてあります。それが責任で、その積み重ねが自信につながるよって。
バラすなよ。
こだわりを持っていない
あと、これは無関心の延長なのかもしれませんが、……こだわりを持たない人が増えましたねえ。「なんでもいい」っていう人。
物事に執着しないのは良いことだと思いますが、あまりに「なんでもいい」だと、主張のない、つまらない人生になってしまうような気がします。
さ、皆さん、ここがポイントです。
ここまで読んでくれて、ほんとうに有難うございます。疲れてしまったと思います。……が、ようやく本題です(←遅いよ!)。
先ず最初に私は「国民のレベルが低くなった」と言いました。そして「白黒ハッキリしないと判断できない」だの「さじ加減を失ったのだから、頼れるのはルールだけ」だの言いました。
で、これは、ほぼ、アスペルガーの我々と同じです。
……。
しかし、「こだわりを持っていない」──これは違います! 我々アスペルガーは病的なほどの「こだわり」を持っています(無意識がほとんどですが)。
ここは、一般の国民とは違うのです!
ここがチャンスなのです!
アスペは、白黒ハッキリしていないと落ち着かないのですが、自分の中のルールと擦り合わせさえ行えば、グレーを認識できます。
それに我々は、単に無関心なのではなく、興味の対象が少ない、というだけです。全般的に関心を持たないわけではないのです。
そして、その人ならではの強いこだわりを持っているのです!
考えてみて下さい。
この時点で、我々アスペの方がプラスだとは思いませんか?
良くも悪くも、こだわりを持っている──普通と違うということは(迷惑さえかけなければ)どう考えてもプラスです。
それに国民がアスペ化してきたのなんて最近です。我々はアスペのプロフェッショナルですよ!
ニワカになんか負けるわけがありません!
……ちょっと胸の張り方が間違っているかもしれませんが、苦手を克服しようと日々の努力を積み重ねてきた我々は、もっと自信を持って良いはずです!
案外、通用すると思いますよ。
そしてこれから先、もっと個性が評価される時代が来るような気もします。
我々の時代がやって来るのです!
アスペルガーにチャンス! まとめ
いかがでしょう?
完璧とはいかないまでも、概ねは間違っていないのではないでしょうか。……では、今回の記事をまとめます!
なぜ「アスペルガーにチャンス到来」だと言えるのか。
それは……?
- 自立ができないまま、個人主義になり、さじ加減(各々の判断で「善し悪し」を決める)を覚える機会すら失ってしまったため、国民全体のレベルが低くなった。
- それはまるで、我々アスペルガーのようだ。
- しかし我々はアスペの達人だ。
- 弱点を既に克服しつつある(または努力している)。
- この時点でアスペの方が優位と言える。
- さらにアスペは強いこだわりを持っている。
- その個性を活かせば、さらに優位に立てるハズ。
正に、チャンス到来です♪
いやあ、何だかワクワクしてきました!
強引だなあ。
……。
以上、報告します。
あ、注意して下さいね!
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